捨てることに立ち止まる理由とその対策

片付け軸

こんにちは、Sayoです。
私は捨てることが苦手な人。だた捨てないと今を大切にできないから学ぶことで捨てることが出来るようになった。最近は捨てることからは解放されて豊かに暮らすにはどうしたらいいのか、日々考えることが出来るようになりました。

捨てるときにはどうしても「もったいない」「申し訳ない」「まだ使える」といったような感情が必ずついてきます。捨てることはゴミ箱に入れるだけなのに、それができない。
感情が一番難問です。

捨てることが苦手な私が、モノを目の前に何を思ったか。
そしてそれをどういう風にとらえて捨てることを決断したのか、主要な4パターンを紹介します。

モノを粗末にしてバチが当たりそう

かわいい鉛筆をもらって、大切にしまっておいたら気づいたら20歳になっていた。という経験はありませんか。鉛筆に音符がぶら下がっているレアなものがあるとついつい引き出しにしまって「いつか使う」と大切にしまっていました。

その数100本ほど。
片付けをするたびに、「まだ使える」「新品だから」という理由で取っておいたし、なんだか新品を捨てたらバチが当たりそうで怖いそう思っていました。

でも、全部捨てました。
なんだか使わない100本の鉛筆で埋め尽くされた引き出しで、本当に入れたいモノが別のボックスに入れるような自分の部屋。もの以上に、自分の時間を粗末にしてないかな、って思って。

モノの旬を見逃さずに、かわいいと思ったらその時使う!100本の鉛筆を手放してからそう決めています。

贈ってくれた方に申し訳ない。

頂き物をそのまま使わずに、保管してある、そういったことはありませんか。
嬉しい、ありがたい。でも趣味が違う。ちょっと自分には似合わない。
でも、手放したら相手がせっかく選んでくれたのに申し訳ない。
手放したことが分かったらきっと悲しむのではないかって。

相手を想うことがとても大切だし、私は自分で言うのも変ですが、やさしい性格なので人より何倍もそう想う気持ちが強い方だと思います。義理堅いので、ちゃんときれいな形でとっておきました。

今でも人に頂いたものは手放しずらいです。
手放しずらいという意味で今もとってあるものもあります。でも全てではないです。

相手がどんな気持ちが贈ってくれたのか。
義理なのか、「これだけ渡せば気が晴れる」と相手の満足感もあるかもしれません。
ちょっと突き放すようですが、相手との関係性や渡してくれる経緯も含めて手放す基準を決めるようにしています。

また、何も使っていない状態で手放すのが抵抗があるのであれば自分なりにちゃんと使ってから手放します。相手を想うことはとても大切です。でもそれ以上に自分自身を大切にしないと。というのは自分に必要なモノだけを厳選するように気を使ってあげないと、自分以外の人を大切になんてできるわけがない、と私は思います。

目先の贈り物で悩むでのはなく贈ってくれた人の気持ち、そしてありがとう。の気持ちを添えることがとても大切。ものをとっておくのが相手を想うこととは等しくないです。

「人のせいにするのはもうやめて、自分で決めよう」そこに気づくとだいぶ人やモノとのお付き合いがスムーズになります。
ものを手放すとちょっとしたことで人にやさしくなれます。
私は肌で感じています。

今までまったく使わなかった自分が許せない

「なんでこれ一度も着ないのか、今年こそは」衣替えで毎年着ると誓ってだすけれど、結局着ない服ってありませんか。しかもそれが高いとなおさら捨てがたい。

こんなものを買った自分が悪い。
こんな高いものを買った自分が悪い。
悪い、悪い、ダメだ、ダメだ。

ということで当時の自分の選択を完全否定した上で、「でも着る、頑張るわ」ということです。
でも着ないわけですから、ここは潔く「学ばせていただいた」と自分自身を認めることにしました。

どこか、完璧主義なくそ真面目さで一度の選択で大成功!!をなんでも収めたいなんて私みたいに思っている人は、その考え方をちょっとだけ変えてみると楽かもしれません。
失敗することで前に進むし、それは必要な投資だって。
このブログもそう。「もう書きたくな」と手をとめていたこともあったけど失敗なんて誰にも迷惑かけないわけだから前に進め、っということ。
買い物の失敗する少しの余裕を自分自身に与えてあげて、少しだけ優しくなってみたらどうでしょうか。

とは言っても、一枚だけ着なくても残しているTシャツがあります。
紫のおしゃれなトップス。スカートを合わせるとカワイイし年齢問わずだから今でも着れるとおもうので。
その辺りは無理しない程度に、あまりに急激にやってもね、コツコツやればそのうち片付きます。
私も片付いたし。

思い出が消えてしまいそう

「うわーこのノートほんと上手にかけてる」「この時いい点数取れたんだよね」過去の栄光が入った順位表やノートを部屋いっぱいに残している方はいませんか。
はい。過去の私です。今の自分に満足していなければいないほど、過去の栄光にすがりつく。こんな私ではないんだーもっとできるんだー。みたいな。

「この過去の栄光が消えてしまうと頑張った記録が全て消えてしまって切ない。」
その気持ちはよく分かります。

でもね、過去の頑張ったことってモノがなくても消えない。
そう感じたのはちょっと前に中学校の英語の学び直しをはじめました。自分は何気なくドリルを進めているけれどそれを見ていたことが「お母さん、2月って単語かけるってすごいね!」っていうよ。
そうそう、その時学んだことや感じたことって、ちゃんと身体が覚えている。だたそれを呼び起こすだけ。そう思うと、モノに頼らなくても何か当時よく使った道や風景をみればその時の思い出やよみがえるから全て自分で所有しなくてもいいのではないかな、と思うんです。
思い出したかったら、社会に頼ろう、外に出かけてみよう!

※ライブドアブログ(2023年03月22日)をリライトした上でこちらのブログに移動しました。

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